weissenborn を入手するまで

WEISSENBORNというマニアックなギターをこれまた日本では全く無名のFlorian Chateauというルシアーにオーダーするという人柱的な一部始終です。多くの方に読んでもらうブログではありません。たまに過去記事に加筆修正します。コメントはどなたでもお気軽に!

KOA その1

製作開始までまだ日があるので(おい、またか)

意訳シリーズ第2段。KOAについて  です。

 

元ネタはこちら

英文を日本語に意訳しただけで、なんの生産性もありませんがGoogle翻訳だけだとわかったようなわからないような微妙なものになってしまうので。

日本語でサラッと読めたほうがいいですよね。

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Koaは間違いなく世界で最も壮観で眼を見張るような広葉樹です! KOAのようにChatoyantをもつ木材は他にありません。


Chatoyantは、「異なる光や異なる角度から見ると色が変わる」という意味です。


今日の世界と市場でのKOAの主な問題は、それが世界でハワイの1つの島だけでしか生まれないことです。ハワイ諸島の1つの島だけにしかなく、さらに木が育った標高は高いほどいい。ハワイのハワイ島の野生の牛と豚は、成熟していないKOA樹皮が柔らかいことを知っていて、一晩で1エーカーの芽を剥ぐことができます。

これにより、大量の種が自然に再生されており、また、牛を大量に牧畜するのを禁じられている土地でありながらKOAの苗を育てるのは非常に容易なのは皮肉なことです。多くの森林は、かつては非常に大きな木が豊富に栽培され、薪や古来のカヌー建造のために使用されるだけと利用範囲は限られていました。

KOAの伐採が許可されている地域には、ほとんどKOAが残っていません。残りのKOAのほとんどは伐採が禁止されている保全地帯にあります。今日の楽器グレードのKoaのほとんどは、農場や私有地で見つかった枯れ落ちた、または傷んだ木からのものです。

外敵から逃れ、理想的な気候、降水量、土壌に育つとKOAは急速に成長します。 KOAは他のハワイの島々にも見られますが、原則としてBiハワイ島からの完全なパッケージ(Blog主 注 再生産サイクルのこと?)が欠けています。それは、最も生育に適した火山灰土壌の良い場所で5年間で6-9m(20-30フィート)に達することができる、最も早く生育するハワイの木の一つです

 

 その1おわり

 

 

WEISSENBORNの歴史 最終回

ギターについて

 

ハワイのギターブームで、ホローネックギターが登場しました。ホローネックギターはその構造から音質、音量が向上しました。 1920年代後半に、NationalsやDobrosのようなレゾネーターが登場し、ハワイアンギターの全盛期やWeissenbornのギターが急速に終焉を迎えるまで、この楽器は大きな成功をおさめました。

     Weissenbornギターの作成の質に関する意見はさまざまです。多くの人が目に見えるカンナ傷、ラフなブレイシング、および接着面の接着剤跡を指摘してWeissenbornギターを酷評します。 「そんなにひどく作られていません」とDavid Lindley氏は言います。 「彼らは単純に作られていますが、時には少し粗いですが、素晴らしい、優れたデザインです。カンナ傷が音色を損ねているとは思いません」とBen Harper氏は述べています。*

(Blog主 注:数年間、オリジナル・ワイゼンボーンを所有した感想では「そんなにひどくないよ。ブレイシングを除いて」っというところ)

「ハーマンは音楽ニーズのように端を切った。何かで時間が長すぎると、効果がなくなるけど、ハーマンは制作に適正な時間をかけていた。」*

(*Blog主 注 :ここは何いってんだかよくわからない)   

 

単純な構造、粗いつくりはWeissenbornのギターの長所であり短所でもあるのです。 それは独特の音色と音量を与えますが、経年変化、環境、高いキーでのチューニングに弱い。 そのため、現存するWeissenbornギターはブレイシングやブリッジの再接着、クラックの修理などを必要とするものが多い。

 

レガシー.....

 

   ホローネックギターの発明者は誰だったのかは分かりませんが、最も重要な2人の名前はヘルマン・ワイセンボーンとノルウェーのギタービルダー、クリス・J.クツセンです。

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(Blog主 注:ハープとギターがくっついたような楽器を作っっていた。なんとこんなサイトもある。 The Band のロビーロバートソンがそんなギター弾いてたなあ。ありゃ~ホローネックじゃないか。あれはギブソン製だったかな?)

Knutsenは現在、ホローネックの発明家として広く認識されており、間違いなく初期デザインでWeissenbornに影響を与えたに違いありません。

しかし、歴史はHermann Weissenbornがコンセプトを完成させ、この2人のルシアーが優れた楽器を作ったことを物語っています。 Knutsenは音と仕上がりの質にあまり注意を払っていませんでした。なのでKnutsenのギターは今は殆ど残っておらず、他方、Weissenbornは今日までホローネックギターの "King"と見なされています。

 

    Weissenbornギターの使い手Christiaan Oyensは、思慮深い言葉を使ってWeissenbornの本質を完全に表現します.....

 

   「あなたはこの楽器のサウンドを最初に体験したときに、その不思議で、しかし美しい音色に魅了されてしまいます。他のギターにはありません。それは、あなたの内面の思考が、この楽器の演奏を始めると、音楽の夢と創造性とを自分の世界に放つことができるのです。あなたは素晴らしい音を継続的に聞くので、現実の世界に戻ることは非常に難しいでしょう。」

 

   「これらの楽器には、低音と高音の両方の魔法のような音質があり、驚くほど音の伸びがあります。 Weissenbornは、甘さと魅力の両方を捉える豊かさのある人間の声のような音質を持っています。手の平の下で、感情や色、経験、旅を話すような音楽をあなたの音楽にもたらします。私はWeissenbornを奏でる。」

 

   「それはこれまでに作られたなかで最も響きのあるアコースティック楽器です。それは非常に表現力豊かで、毎日私に何か新しいことを明日教えてくれます。」

 

   「Weissenbornは私の中にある音なので、他に何も私の音楽の精神を変えることはできない。」

 

 (Blog主 談:ん〜、ちょっと大げさな表現かな。 でもあの音色、普通のギターには出せないし、あの魅力的な音色にやられちゃう人も少なくないと思う。多くはネックが中空になっているところから来るのだと思う。もともとスライド・ギターが大好きな僕もギターは抱えて弾いたほうが断然なれているのだが、あの音色にやられた一人なので、ラップスティールの経験がなくとも、わざわざ膝の上に寝かせて弾く楽器を選んだわけです。

Weissenbornは1930年台にハワイアン音楽ブームの終焉とリゾネーターギターの台頭に駆逐されたわけですがエレキギターもアンプもない時代、でかい音=いい音 だったのかもしれませんね。実際リゾネーターギター、日本の家で弾く分には、ちょっと音が大きいです。

Weissenbornくらいが音色もいいしちょうどいい。 と思います。)

 

おしまい

WEISSENBORNの歴史 その2

1926年

  ハーマンの息子が亡くなる。

  代わりに Rudolph Dopyeraが期間限定で雇われる。

  ちなみに彼は1930年にthe National Dobro Coへ戻ります。

 

  工房では4つのスタイルのスチールギターのほか、並行して4つのスタイルのスパニッシュギターが作られ、少数だがウクレレマンドリンもあった。おそらくバイオリンも作っていた(日の目は見なかった)と思われる。

1914年から続いていたCharles S. DeLanoへのkonaギターの製作も1930年まで続けらた。

 

1930年 ハワイアン音楽ブームの終焉でスチールギターの販売・製造量がぐっと落ち込む。

 

社の歴史の中でレアなものもある。

1916−1922年 ソリッドスクエアーネックのワイゼンボーンが作られている

1926年−30年代 ティアードロップモデルも作られている。

 

1930年までにハーマンとコンセプシオンの2人は離婚しないものの別居しはじめる。

1935年

ハーマンは以前から不満を漏らしていた工房を移転。多額の借金を抱える。

1937年

ハーマンが73歳でこの世を去った。 

1940年

コンセプシオンがハーマンのビジネスの後継者で当時87歳のAlbert Kolbの看護人となる。

1961年 

コンセプシオンが71歳で亡くなる。

 

もう一回だけ続く。

 

WEISSENBORNの歴史 その1

作成開始まであと1週間位あるので、ワイゼンボーンの歴史を日本語で意訳していきます。

もとにするのはこのページこのページ

 

 おなじみハーマン・ワイゼンボーンさん

量産に入る前のギターにはこのラベルが貼られたそう。

(なんか私的にはモンティーパイソンに出てくる写真みたいで。笑)

                                    f:id:esquire1951:20180625185529j:plain

 

1863年6月30日

ハーマンワイゼンボーンこと Karl Hermann Heinrich Weissenbornは

ドイツにうまれる。

  30代には楽器製造、リペアでハノーバー市の人名録(住所 

  録?)に名前があったそうです。

1902年

アメリカ ニューヨークに渡る。

1910年

ピアノリペアマンとしてロサンゼルスに移る。

1912年 

短期間のパートナーシップ契約を結んでバイオリン製造に乗り出します。

1914年 

ハーマンはスチールギターを作り始めまたこの年に将来結婚することになるメキシコ移民のConcepcion Ybarraと出会います。

1915年

2人は結婚します。ハーマン52歳、コンセプシオン25歳。

この年から上の写真のラベルをギターに貼るようになったそうです。

この頃からKOAを提供するアルバートとの親交が始まる。

1921年

当時31歳だったハーマンの息子が彼と働くためドイツからロスに移住してきます。

(Blog 主 談:この息子さんってハーマンの奥さんコンセプシオンと同い年なんだ。)

1923年

ハーマンとその息子、そして経理担当とKOAを提供する前述のアルバートの4人でWeissenborn Company, Limitedを設立。この工場で作られたものにあの“H. WEISSENBORN LOS ANGELES, CAL.”という焼印が押されるようになった。

 

21年〜23年サンフランシスコのデパート用に少量のスチール・ギターをイタリアンマドンナ、マウイの名で作成。

(blog主談;Bediazで売ってた”イタリアンマドンナ”ってこれか。納得。)

 

 

続きはまた。

ED GARHARDのワイゼンボーン

製作開始までもうあと10日くらいあるので、それまでちょっと脱線します。今しばらくお付き合いください。

 

YOUTUBEでWEISSENBORN関連の動画を探すとをED GARHARDの動画がチラホラでてきます。

彼はエンドースメントか何かなのでしょう、Breedloveという会社のアコギやワイゼンボーンを使ってます。

 

彼のワイゼンボーンに関しては「そこまで虎目びっしりじゃなくてもよくね〜?」と思うほどBreedloveが力を入れちゃってますね。僕のも虎目少なくして細かくすれば出来上がりは似ているなあと思います。

STYLE 1でカーリーなやつってあまり見ないので彼のワイゼンボーンにちょっと似てるかなと夢想しています。あと5ヶ月弱。長い。

 

音は好きなんだけどBreedloveのトレードマークのあのブリッジが好みではないです。

下記のビデオで見ると指板はSTYLE 2みたいなやつですが、細かいロープバインディングがボディー+指板の下側のボディーのみに入ってます。

最大の謎は6弦側の3−12フレットだけなんかでっぱってます。何だありゃ?

youtu.be

質問の答え

答えが帰ってきました。(はえーっ)

 

1:PayPalは私の理解が正しく、まずFlorian側でbilling orderを作らな

  きゃいけない。 けど忙しくてなかなかできないそう。

  待ちましょう。

 

2現在の予想出荷時期は10月半ば。

 ちゃんとニカワやシェラック塗装の乾燥にも時間とってあるそうで

 す。

 

3指板はボディー用に選んだ材からFlorianが切り出すんだそうです。

 たまにそれがかなわない時があって、そういうときは別に用意する

 んだそうです。

 同じ木材からだったらボディーと同じ雰囲気ですね。納得。

 

4オリジナルカスタマーは消耗品についてはライフタイムワランテ

 ィーのようです。

 ワランティーとしか書いてないが期限を書いていないのでライフ

 タイムなんだろうと勝手に解釈しています。

 

 塗装のクラック、極端な湿気のもとでの使用などで起こる不具合は

 保証の対象外だそうです。