楽器の音の良さは
KOAの記事でそんな話が出てきたので以下、私の主観です。
何が決定的かといえば
プレイヤーの技量 が一番だと思います。
(たとえばデビットリンドレーがステージでいくつも weissenbornを使い分けることがありますが、その全部がメキシコ製の安物だと本人が語っています)
じゃ、うでを補うために高額なものを使えばいいってわけじゃないしね。(これは何事もそうですね)
材の種類、良し悪しはその方向性を大きき左右するけれど決定打とは思ってないです。
またルシアーにより音の個性は違います。
(いまは動画で大まかに確認できるようになりました)
あと楽器自体の良し悪しにも言えますが見た目も大事。
大部分が木材でできていて、クリア塗装でわざわざ木目をアピールしている楽器です。
KOAの場合それがかなりのウエートを占めるまで表情がとても豊かです。
見た目がお気に入りならその音も良く聞こえちゃうことは私の場合多々あります。
この辺のMIXかなあ と思ってます。そもそも「こうだ!」と定義づける気もないですが。その日の気分によって微妙に違うし。
その日の気分などのゆらぎを凌駕し超越しちゃうのが良い音、良い楽器なんでしょうね。
そもそもいい悪いってえらく主観的なものだし、自分が「いい」と感じればそれでいいんじゃないかと。
KOA その3
長年に渡って、「どういうやつが音がいいのか?」について多くの議論がされてきました。多くのプレイヤーやルシアーは、実際、weissenbornsに最高の音色を与えるのは、カーリーで、より単純な,
模様のない(Blog主談:カーリーなのに単純?)KOAだと言います。
音の違いの多くはKOA wood自体にあります。島のどちらの側で、どの高度でとれたKOAが最もよく聞こえるかについて議論が行われていますが、一部のKOAは他の木よりも密度が高く、空気乾燥したKOAは人工乾燥したKOAより含水量が少ないと言うのは事実です。
価格設定と入手できる可能性については、消費者にとって理想的な市場ではありません。ハワイ固有の樹木だけでなく、ものが少なくなるにつれて、KOAは購入するのにはとても費用がかかります。
非常に象徴的なカーリーなボードは、非常に高い値がつき、この価格は、この希望のKOA woodを自分のweissenbornに使用したいと望む顧客にそのまま跳ね返ります。ときにその価格は完成した楽器の価格の50%までになることがあります。これは、初期購入費用をカバーするために、ルシアーがよく、大きな前金を求めている理由です。
おしまい
KOA その2
KOAは、ハワイの天然の硬材の中で最も美しく有用であると広く考えられており、Monkey PodとMangoとともに、米国下の48州に輸入される最も一般的なハワイ種です。
視覚的には、KOAはマホガニーと比較されていますが、作業性や機械的特性の面ではクルミと比較されることがよくあります。接線方向と半径方向の収縮がほぼ等しいため(T / R比はわずか1.1)、KOAは湿度の環境変化に関してかなり安定している傾向があります。
ハワイの人は、彼らがウクレレを作るためにKOAを使用したときに、その独特な色調を最初に発見しました。 ルシアー達はすぐにこのエキゾチックな木材に魅せられ、19世紀以降のギター制作で使用されてきましたし、Hermann C Weissenbornの時代にはもちろんKOAが使われました。
カーリーKOAの素敵な作品を見たことがある人は誰もが、その素晴らしい見た目を否定はできないでしょう。その美しさと色調のために常に求められ、KOAはまだ現在もweissenbornビルダーとプレイヤーから好んで指定されています。
一般的に、KOAはカール(またはフレイム)とその美しさのためにグレード分けされます。なぜなら、ほとんどのビルダーがこれを探しているからです。一般的には、普通はA(カールがほとんどまたは全くない)、AA(ミディアムカール)、AAA(フルカール)、マスター(プレミアムカール)等級です。
その珍しい色とカールのために、一般的に「オフ・ザ・チャート」であるマスターグレードKOAは、楽器の使用に適した10本の丸太に1つあり、最もレアなマスターグレードの木材はその1/10−1/20に1つです。なので100−200本の楽器用丸太の中の1本だけに最高のものがあるのです。
KOA その1
製作開始までまだ日があるので(おい、またか)
意訳シリーズ第2段。KOAについて です。
元ネタはこちら。
英文を日本語に意訳しただけで、なんの生産性もありませんがGoogle翻訳だけだとわかったようなわからないような微妙なものになってしまうので。
日本語でサラッと読めたほうがいいですよね。
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Koaは間違いなく世界で最も壮観で眼を見張るような広葉樹です! KOAのようにChatoyantをもつ木材は他にありません。
Chatoyantは、「異なる光や異なる角度から見ると色が変わる」という意味です。
今日の世界と市場でのKOAの主な問題は、それが世界でハワイの1つの島だけでしか生まれないことです。ハワイ諸島の1つの島だけにしかなく、さらに木が育った標高は高いほどいい。ハワイのハワイ島の野生の牛と豚は、成熟していないKOA樹皮が柔らかいことを知っていて、一晩で1エーカーの芽を剥ぐことができます。
これにより、大量の種が自然に再生されており、また、牛を大量に牧畜するのを禁じられている土地でありながらKOAの苗を育てるのは非常に容易なのは皮肉なことです。多くの森林は、かつては非常に大きな木が豊富に栽培され、薪や古来のカヌー建造のために使用されるだけと利用範囲は限られていました。
KOAの伐採が許可されている地域には、ほとんどKOAが残っていません。残りのKOAのほとんどは伐採が禁止されている保全地帯にあります。今日の楽器グレードのKoaのほとんどは、農場や私有地で見つかった枯れ落ちた、または傷んだ木からのものです。
外敵から逃れ、理想的な気候、降水量、土壌に育つとKOAは急速に成長します。 KOAは他のハワイの島々にも見られますが、原則としてBiハワイ島からの完全なパッケージ(Blog主 注 再生産サイクルのこと?)が欠けています。それは、最も生育に適した火山灰土壌の良い場所で5年間で6-9m(20-30フィート)に達することができる、最も早く生育するハワイの木の一つです
その1おわり
WEISSENBORNの歴史 最終回
ギターについて
ハワイのギターブームで、ホローネックギターが登場しました。ホローネックギターはその構造から音質、音量が向上しました。 1920年代後半に、NationalsやDobrosのようなレゾネーターが登場し、ハワイアンギターの全盛期やWeissenbornのギターが急速に終焉を迎えるまで、この楽器は大きな成功をおさめました。
Weissenbornギターの作成の質に関する意見はさまざまです。多くの人が目に見えるカンナ傷、ラフなブレイシング、および接着面の接着剤跡を指摘してWeissenbornギターを酷評します。 「そんなにひどく作られていません」とDavid Lindley氏は言います。 「彼らは単純に作られていますが、時には少し粗いですが、素晴らしい、優れたデザインです。カンナ傷が音色を損ねているとは思いません」とBen Harper氏は述べています。*
(Blog主 注:数年間、オリジナル・ワイゼンボーンを所有した感想では「そんなにひどくないよ。ブレイシングを除いて」っというところ)
「ハーマンは音楽ニーズのように端を切った。何かで時間が長すぎると、効果がなくなるけど、ハーマンは制作に適正な時間をかけていた。」*
(*Blog主 注 :ここは何いってんだかよくわからない)
単純な構造、粗いつくりはWeissenbornのギターの長所であり短所でもあるのです。 それは独特の音色と音量を与えますが、経年変化、環境、高いキーでのチューニングに弱い。 そのため、現存するWeissenbornギターはブレイシングやブリッジの再接着、クラックの修理などを必要とするものが多い。
レガシー.....
ホローネックギターの発明者は誰だったのかは分かりませんが、最も重要な2人の名前はヘルマン・ワイセンボーンとノルウェーのギタービルダー、クリス・J.クツセンです。
(Blog主 注:ハープとギターがくっついたような楽器を作っっていた。なんとこんなサイトもある。 The Band のロビーロバートソンがそんなギター弾いてたなあ。ありゃ~ホローネックじゃないか。あれはギブソン製だったかな?)
Knutsenは現在、ホローネックの発明家として広く認識されており、間違いなく初期デザインでWeissenbornに影響を与えたに違いありません。
しかし、歴史はHermann Weissenbornがコンセプトを完成させ、この2人のルシアーが優れた楽器を作ったことを物語っています。 Knutsenは音と仕上がりの質にあまり注意を払っていませんでした。なのでKnutsenのギターは今は殆ど残っておらず、他方、Weissenbornは今日までホローネックギターの "King"と見なされています。
Weissenbornギターの使い手Christiaan Oyensは、思慮深い言葉を使ってWeissenbornの本質を完全に表現します.....
「あなたはこの楽器のサウンドを最初に体験したときに、その不思議で、しかし美しい音色に魅了されてしまいます。他のギターにはありません。それは、あなたの内面の思考が、この楽器の演奏を始めると、音楽の夢と創造性とを自分の世界に放つことができるのです。あなたは素晴らしい音を継続的に聞くので、現実の世界に戻ることは非常に難しいでしょう。」
「これらの楽器には、低音と高音の両方の魔法のような音質があり、驚くほど音の伸びがあります。 Weissenbornは、甘さと魅力の両方を捉える豊かさのある人間の声のような音質を持っています。手の平の下で、感情や色、経験、旅を話すような音楽をあなたの音楽にもたらします。私はWeissenbornを奏でる。」
「それはこれまでに作られたなかで最も響きのあるアコースティック楽器です。それは非常に表現力豊かで、毎日私に何か新しいことを明日教えてくれます。」
「Weissenbornは私の中にある音なので、他に何も私の音楽の精神を変えることはできない。」
(Blog主 談:ん〜、ちょっと大げさな表現かな。 でもあの音色、普通のギターには出せないし、あの魅力的な音色にやられちゃう人も少なくないと思う。多くはネックが中空になっているところから来るのだと思う。もともとスライド・ギターが大好きな僕もギターは抱えて弾いたほうが断然なれているのだが、あの音色にやられた一人なので、ラップスティールの経験がなくとも、わざわざ膝の上に寝かせて弾く楽器を選んだわけです。
Weissenbornは1930年台にハワイアン音楽ブームの終焉とリゾネーターギターの台頭に駆逐されたわけですがエレキギターもアンプもない時代、でかい音=いい音 だったのかもしれませんね。実際リゾネーターギター、日本の家で弾く分には、ちょっと音が大きいです。
Weissenbornくらいが音色もいいしちょうどいい。 と思います。)
おしまい
WEISSENBORNの歴史 その2
1926年
ハーマンの息子が亡くなる。
代わりに Rudolph Dopyeraが期間限定で雇われる。
ちなみに彼は1930年にthe National Dobro Coへ戻ります。
工房では4つのスタイルのスチールギターのほか、並行して4つのスタイルのスパニッシュギターが作られ、少数だがウクレレやマンドリンもあった。おそらくバイオリンも作っていた(日の目は見なかった)と思われる。
1914年から続いていたCharles S. DeLanoへのkonaギターの製作も1930年まで続けらた。
1930年 ハワイアン音楽ブームの終焉でスチールギターの販売・製造量がぐっと落ち込む。
社の歴史の中でレアなものもある。
1916−1922年 ソリッドスクエアーネックのワイゼンボーンが作られている
1926年−30年代 ティアードロップモデルも作られている。
1930年までにハーマンとコンセプシオンの2人は離婚しないものの別居しはじめる。
1935年
ハーマンは以前から不満を漏らしていた工房を移転。多額の借金を抱える。
1937年
ハーマンが73歳でこの世を去った。
1940年
コンセプシオンがハーマンのビジネスの後継者で当時87歳のAlbert Kolbの看護人となる。
1961年
コンセプシオンが71歳で亡くなる。
もう一回だけ続く。